5分でわかる梁川八幡の歴史

まずは八幡様の歴史から

 日本人なら誰でも知っている八幡様。「はじめての八幡様」からはじめましょう。
日本の八幡神社の起源は福岡県飯塚市にある大分八幡宮(だいぶはちまんぐう)で創建は奈良時代と
いわれています。そこから八幡宮総本社宇佐神宮や日本三大八幡宮の筥崎宮が分霊されました。


梁川の地に創建されたのは永観二年(984)、鎮撫使田原中納言勝稙により梁川の地へ石清水八幡宮から勧請されました。
そのときの名称は若宮八幡といいました。何故、田原中納言勝稙が梁川の地に八幡様を勧請したのかは謎です。
鎮撫使(ちんぶし)とは何か?しらべました。
奈良時代に置かれた令外官(りょうげのかん)で徒党を組んで老少,貧賤を苦しめるもの,盗賊や妖言を放つもの,兵器をたくわえるものなどを逮捕,処罰するとあります。令外官とは何?しらべました。
令に規定されない官とあります。以上から田原中納言勝稙は公の警察官ではなく隠密警察のような人と言えるのではないかと思います。
そんな人が梁川の地に八幡様を勧請すると言うことは、危険な自分の仕事を無事勤めることが出来るよう神様にお願いするためではないか?色々考えると謎も楽しくなってきます。
(ところで勧請とはわかりやすく言えば支店のようなもので梁川の地にも八幡宮の支店を作りましょうというようなことでしょう。)

それから188年後の承安2年(1172)、東北では超有名人奥州藤原秀衡佐藤基治に命じて奥羽二州の名匠、工人数百を付し社殿の再建を行ったとあります。
八幡様が出来てから約二百年後の事ですから元々の社殿はかなり傷んでいたでしょうし、そもそも今ほどの規模の外観ではなかったと思われますから三重の塔などを建てたということはかなり力の入った再建事業だったのでしょう。

再建事業から17年後奥州藤原氏滅亡の年、伊達氏が梁川城へ入城すると二代当主伊達宗村が鎌倉八幡を勧請し、若宮八幡とあわせて祀ったとあります。 それからの八幡神社は伊達氏の氏神として居城が移動する度あちこち行ったり来たりすることになりますが最終的には永禄十年(1567)に現在の場所に戻ってきたようです。

戦国時代の八幡神社

伊達政宗が豊臣秀吉の奥羽仕置により伊達の地を手放す天正18年(1591)まで梁川八幡は伊達氏先祖代々の氏神として手厚い庇護の元祀られていました。
度々社殿の改修などが行われており永禄10年(1567)には四十数年ぶりに4年間をかけての大改修を行っています。
その後天正10年伊達政宗が初陣祈願に梁川八幡を訪れたときは改修から16年あまり、立派に改修された荘厳な梁川八幡に「南無八幡大菩薩」と祈ったのでしょう。それからの戦いは連戦連勝、天正16年には鎧、兜、太刀などを献納しました。
その当時の梁川八幡の大祭は東北地方最大の規模を誇り、流鏑馬なども行われる格式高い祭礼でした。

これからの八幡神社

平成の世、千年以上続く梁川八幡の歴史を発掘、検証してこれからの時代にしっかりと継承することが現代に生きる私たちの使命だと思います。これからも検証に基づく歴史史実を書き加えていきます。

5分でわかる梁川八幡の歴史

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